30歳、転職10社目。新卒で適応障害になってからの経歴を公開!

適応障害

私は、社会人1年目で適応障害になり、休職、退職、短期離職を経験し、30歳現在で10社目になりました。

経歴を丸裸に晒すのは、とても恥ずかしいですが

この記事を読んで少しでも

・適応障害後も苦しんでるのは自分だけじゃないんだ

・この経歴を見る限り、私の方がまだ大丈夫かも

など同じように苦しんでいたり、不安になってる人の気持ちを少しでも前向きにできればなと思ったので公開します。

早速、私の経歴を見てみましょう!

①総合病院(契約社員:10ヶ月)

社会人1年目は、未経験から医師事務作業補助者になりました。

この仕事では、医師の事務代行業務やカルテ入力などをしてました。

先輩達が優しく教えてくれて業務室内もすごく雰囲気が良くて楽しくやっていたのですが、働いて半年がたった頃、新病院移転をきっかけに仲の良かったチームを離れて、主任のいる部屋に移動となり状況が一変しました。主任との相性が悪く、関係性を上手く築くことができませんでした。

(今思い出すだけでも気持ちが暗くなってしまうので、内容は割愛します。)

そこから、声に張りがなくなっていき、笑顔も作れなくなって、家族とも言葉数が減っていきました。

前の部屋にいた他部署の上司は、「元気?大丈夫?」と言ってくるほど、私は変わってしまいました。

社会人1年目ということもあって、この辛い状況をみんな耐えてきてるんだと言い聞かせ、自分の感情を押さえ込み、愚痴を誰にも吐けなくなり、適応障害になりました。

毎日号泣して、職場にも行けなくなって、親に泣きながら行きたくないと伝え、心療内科に連れて行ってもらいました。

まずは1ヶ月、休職することになりました。

復帰後、部屋を前のメンバーのところに戻してもらいましたが、関係性は悪くなるばかりで、2ヶ月で再発しました。

そこで限界がきて、退職することになりました。

半年ほどゆっくり転職活動をしながら無職生活を過ごしてました。

②大手インフラ企業(派遣社員:7ヶ月)

地方だと働く職種も少なく、車移動が得意じゃないので、東京へ行くことを決意。

もともと大学で上京経験があり、そこに関しては不安はなく、妹もいたので、思い立って1ヵ月で引っ越しました。正社員の仕事は、なかなか決まらなかったので派遣会社に登録してみました。

最初に営業から勧められた会社にそのまま派遣先が決まりました。 大手インフラ会社で、未経験OKの6人募集だったので、同期がいることがとても心強く、愚痴を吐いたり、励まし合ったりして楽しく働けました。部長もとても優しかったです。

仕事内容は個人情報のデータ入力、郵便仕分けや庶務で得意な仕事だったので、ストレスはありませんでした。

今回転職してみて、「こんなに働きやすい会社があるんだ!」前の会社が全てではない、ということに気づくことができました。

ただ、前職の医師事務作業補助者はやりがいがあったので、もう一度挑戦したくなり、半年で派遣社員をやめて違う病院に転職しました。

③総合病院(契約社員:1週間)

契約社員で医師事務作業補助者を再挑戦したのですが、 引継ぎが3日間しかなくて、覚える量が非常に多くプレッシャーとなり、食欲もどんどん低下し、 ずっと緊張状態が家でも解けなくて、体に拒否反応がで出てきました。

おそらく病院で働くこと自体がトラウマになっていて、実際、職場の最寄駅まで行っても引き返してしまいました。

このままでは、また適応障害を繰り返してしまいそうなので、退職しました。

その月は、地元に戻りゆっくり過ごしました。

④大手PR会社(派遣社員:半年)

次は、以前登録していた派遣会社で仕事検索をして、前から興味のあったマーケティングに挑戦しようと思い応募して、大手PR会社のマーケティング部のアシスタントで働くことになりました。

会社で芸能人とすれ違ったりするキラキラした会社で、とても刺激的でした。

未経験なのでまず、マーケティングの本を読むことから始まり、情報収集や提案書作成、企画会議に参加もできて派遣社員ながらもどんどん挑戦していける環境でした。

しかし、休みの日も企画を考えたり、他社でのプレゼンテーションの任されるプレッシャーから疲れがとれにくくなったのと、観光メディアのSNSの記事作成の副業を始めたので、体力面が心配になり半年で契約を終了することにしました。

⑤大学病院(派遣社員:1週間)

そしてまた懲りずに病院勤務へ。

ただ今回は、医師事務作業補助者ではなく、技師さんの部署の事務でした。 直接患者とは関わらないから大丈夫かなと思ったのですが、 入って1週間で部屋を一人きりで任されたので、ほとんど何もわからない状態のままやり過ごしましたが、 心にかなり負担がかかり、トラウマである病院勤務ということもあり、適応障害再発。

またもや1週間で辞めました。もう本当に自分が弱くて嫌でした。

これは、適応障害だったりHSP気質のある人のあるあるだと思うんですが、転職する際に、辛くなるって分かっていても、知らない世界より、知ってる世界を選びがちな気がします。そして同じようにキツくなって辞めてしまう。今だに私はその傾向があるので家族に止めてもらってます。

⑥大手インフラ企業(派遣社員:3年)

1.2ヶ月休んで、今度は違う派遣会社に登録し、偶然にも最初の派遣先だったインフラ会社の募集があり、違う部署ですぐ働くことになりました。

営業部で大変かなと不安でしたが、同年代の派遣さんと仲良くなり、たくさん助けられてなんと自己最長3年の満了まで働くことができました。 契約期間がなければずっと働きたかったです。

仕事内容は営業事務、庶務などで、苦手な電話対応もありましたが、周りの社員さんたちにも支えてもらいながらやっていけました。

このとき、適応障害の後遺症みたいなもので自律神経がすぐ乱れやすくなっていて、心が沈み、体に力が入らなくなる症状が出て、だいたい月1で休んでました。すごく迷惑をかけていました。

それでもフロア内の派遣同士はとても仲は良く学校みたいに楽しかったし、正社員の人たちともプライべートでみんなでよく遊びに行ったりもして、本当に一番楽しく働けました。自分に合う職場ってあるんだと思いました。本当に探し続けてよかったです。

⑦大手インフラ企業(派遣社員:1週間)

3年の契約期間満了後、次は同じ会社の人事部に決まったのですが、 部署内の雰囲気は全く違い、一緒の派遣さんはずっと誰かの悪口ばかりで強めの印象。年も離れた方だったので、社会人1年目の頃の主任を思い出し、絶対に私と相性悪いな思って嫌な予感しかなかったので逃げることを選びました。

人事部は興味のあった仕事だったけど、やはり環境や人が大事なので、自分の心と体を守るために辞めました。

⑧塾の社長秘書(正社員:1週間)

地元に帰り、今度は塾の経理に転職。

29歳にして初めての正社員で嬉しかったのですが、社長から秘書に変更しないかと言われ、業務は苦手だけど、このまま何もできない自分は嫌だなと感じていたので挑戦してみることにしました。

ですが、苦手な電話対応がストレスとなり、さらに自分以外の社内の人間関係がとても悪くて、間に挟まれて気疲れがすごく、仕事LINEも時間帯関係なく休日もひっきりなしに動いていたので、全然身体が休まらず、また適応障害に。

面接時に気になる点があったらしく、試験で心理テストをした時、「ストレスをすごい感じてるみたいだね」と言われました。 本人が明るかったから大丈夫なのかなと思って採用したと言われましたが、自分でももう大丈夫かなと思っていて、気づいていませんでした。適応障害が麻痺していたのかもしれません。結局、1週間で辞めました。

⑨金融企業(派遣社員:1週間)

2週間くらい休んで、また派遣に戻って働きました。 特に電話が苦手なので今回、仕事を選ぶ条件で電話なしが良いと伝えました。しかし初日から電話を掛ける業務がありました。

いつもの展開になり、結局1週間で辞めました。

自分では治っていると思っていても、体と心はずっと無理が続き、ストレスがどんどん蓄積されていて、心が回復するまで休まずに焦って転職活動しても短期離職を繰り返してしまうことがわかりました。

適応障害になる度に、ストレス容量の袋が削れていってるのかもしれない。

だから、ちょっとのストレスで満杯になり、数を重ねるたびにキャパオーバーになるのが早くなるんだと思います。

⑩データ入力(契約社員:1年〜)

2ヶ月ゆっくり休んでる間に推しができて、推し活をするためのお金が必要となったので、自分ができる業務の仕事と、電話なしのものを探しました。完全に苦手を排除しました。

その結果、現在のデータ入力の仕事に辿り着きました。自分が得意な業務に、苦手な電話を無くすことで、1年過ぎくらい働けています。

全くストレスがなく、体調も崩さなくなり、月1で乱れていた自律神経も改善し、会社を休むことがなくなりました。

転職10社目にしてわかったこと

・自分に合った環境は、探し続ければ必ずある。

・しっかり休むことは重要。

・適応障害は繰り返す分だけ、ストレス耐性の容量も減っていく。

・大好きな人たちに出会えたのは、過去の出来事があったから。あまり過去を否定しすぎない。

これまでの自分の経験は、無駄にはしたくないし、むしろ活かして少しでも同じように悩んでる人の役に立てれるように、今後は、適応障害や派遣社員時代のことを詳しく記事にしていく予定です。

このブログ記事を読んでいただきありがとうございました。では、また!

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